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史跡紫香楽宮跡(宮町地区)歌木簡と歌墨書土器

しせきしがらきのみやあと(みやまちちく)うたもっかんとうたぼくしょどき

概要

史跡紫香楽宮跡(宮町地区)歌木簡と歌墨書土器

しせきしがらきのみやあと(みやまちちく)うたもっかんとうたぼくしょどき

木簡・木製品類 / 奈良 / 近畿 / 滋賀県

不明

滋賀県

奈良

ヒノキ材を用いた薄板に万葉仮名で一音一字形式に記し、字配りや文字配置から、本来は幅1寸×長さ2尺程度の細長い形態であったと推測され、栄原分析では歌木簡のa型式に相当する。墨書土器は須恵器の皿Aで、色調は焼成がやや甘いため乳灰色、残存率50%程度である。土器形式と整地層から出土した100点以上の共伴時の時代から紫香楽宮造営過程で廃棄されたと判断できる。

単位:mm
木簡 全長79+140×幅22×厚1
墨書土器 口径230×高21

2点

滋賀県甲賀市信楽町宮町641-1

甲賀市指定
指定年月日:20150218

甲賀市

有形文化財(美術工芸品)

木簡の「なにはつ」の歌やその一部が書かれた木簡や土器等は、全国で30余例確認されている。本木簡の時期は、『万葉集』成立以前であるため、少なくともあさかやまの歌が一定の範囲に流布しており、それが、一方では木簡に書かれ、他方では『万葉集』に収められたと解釈でき、『万葉集』成立の過程を知る重要な資料であると評価できる。墨書土器は万葉かなで書かれている「伊毛」「□乃古」の文字は、「歌一首」の文字とは、字の太さは異なるものの、すぐ横にかかれており、両者を関係づけて理解することには問題がないl。「歌一首」の語とあいまって、歌に関係する環境のもとでこれらの文字が書かれたと考えられる。この墨書土器が整地層に混入する以前の状況は不明だが、書き手は紫香楽宮に勤務する官人と推測され、土器に習書する場と典礼を意識した「歌木簡」が書かれた場所などとは異なると見られる。したがって、「歌木簡」とあいまって、紫香楽宮では、宮内各所で身分の異なる官人たちが和歌を嗜んでいたことが考えられ、紫香楽宮の文化的活動に広い階層が係っていたことを示す重要な発見である。

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