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旧栃木町役場庁舎

きゅうとちぎまちやくばちょうしゃ

概要

旧栃木町役場庁舎

きゅうとちぎまちやくばちょうしゃ

建造物 / 大正 / 関東 / 栃木県

栃木県

大正10年/1921

木造総2階建、瓦葺、塔屋付。建築面積:477.02㎡(延床面積:1階463.45㎡、2階463.45㎡)(昭和12年以降の増築部を除く)

現存する旧栃木町役場庁舎は木造総2階建の洋風建築で、外壁は1階が横板張ペンキ塗、2階は漆喰壁で木造の骨組を化粧で表し、屋根の上には小さな塔を乗せる。現在はこの小塔に時計が取り付けられているが、当初はガラリ窓だけであったことが現存する設計図や竣工後の古写真によって確認される。南側中央に玄関ポーチを設けて屋根にパラペットを廻し、2階の軒には切妻破風を掲げている。このほか南東隅部および北面西端、東面南端にも切妻破風を、南西部の通用口上部の屋根に小さなドーマー窓を設けている。外観を特徴づけるのは、玄関廻りと切妻破風の妻壁に施された装飾で、当時としては斬新なアール・ヌーヴォー風の曲線やゼツェッシオン風の意匠が用いられている。窓はすべて木製の欄間付き上げ下げ窓である。
 平面は北側から東側に通じるL字型の構成で、1階北側の玄関ポーチの奥にL字型の廊下(客溜)が廻り、カウンターを隔てて広い事務室となる。カウンターには低い建具が設けられていたことが現存する設計図によって確認され、その痕跡も残されているが、現在は撤去されている。事務室の南側に主階段室、西側に補助階段室が設けられ、主階段室の南側の一室は旧食堂である。その東側および南側は、先述した昭和12年以降の増築部である。2階は北側が旧議場と旧議院控室(西側)および補助階段室で、南側から西側にかけて廊下を設け、主階段室と連絡している。主階段室の南側は旧貴賓室であるが、現在は間仕切が増設され、2室に分割されている。
内部は、1、2階とも床は板敷、腰は縦板張、壁は漆喰塗、天井は板張を基本とするが、2階の旧貴賓室は板張の壁に格天井、旧議場は中央を八角形とした格天井で、いずれも当初材が残されている。床板に関しても当初材が残るが、現在はその上に新たな床板が張られている。ただ、1階の廊下(客溜)だけは一段低くコンクリート研ぎ出し仕上げであったが、嵩上げされている。内部は旧貴賓室を除けば比較的質素であるが、主階段には外部と共通するゼツェッシオン風の装飾が見られる。

1棟

栃木県栃木市入舟町7-31

栃木市指定
指定年月日:20171228

栃木市

有形文化財(建造物)

栃木町役場の前身は、県庁移転後の明治18年に設けられた近隣12町村の戸長役場で、旧県庁舎を転用した栃木小学校(現在の栃木中央小学校)の一部を仮用して設置された。明治22年、市制・町村制の施行によって下都賀郡栃木町が成立し、旧戸長役場は初代の栃木町役場となった。その後、明治30年12月、県庁堀の南外側(祝町)にあった栃木高等小学校(明治41年に栃木尋常高等小学校、現在の第一小学校)の西側に栃木町役場庁舎が新築されたが、この時の建物の詳細は知られていない。そして、明治45年3月に栃木尋常高等小学校(この年、栃木第一尋常高等小学校と改称)の校舎が改築されたことから、町役場庁舎は校庭の南東隅に移築されている。
 大正10年、場所を県庁堀内に移して建設されたのが、現存する栃木町役場庁舎である。着工は大正9年、棟札によると「上棟式 大正十年三月十九日」とある。落成式は大正10年11月15日、新庁舎に於いて盛大に挙行されたことが当時の『下野新聞』で知られる。栃木町長は榊原經武、建築委員には町会議員や町の有力者が名を連ね、来賓は500余名数えたことも報じられている。町役場が正式に移転したのは同年の12月10日であった。
 その後、この町役場庁舎は、昭和12年4月に市制が敷かれて栃木市庁舎と改称された。さらに昭和35年、西側に隣接して新庁舎が建設されてからは市庁舎別館となり、平成26年に本庁舎が万町の旧福田屋百貨店を改修して移転するまで使用され続けた。その間、建物は平成10年に国の登録有形文化財に登録されている。

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キーワード

庁舎 / 役場 / / 玄関

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